卒園式の帰り、園から渡された紙袋に、証書の筒と一緒に連絡帳が三冊入っていた。三年間、毎朝書いて持たせ、毎夕受け取っていたノートだ。返ってくるものだとは知らなかった。
息子が寝てから、しまう場所を決めるつもりで一冊目を開いた。
最初のページの家庭欄に、「よろしくお願いします。不慣れですみません」と書いてあった。自分の字だった。返信欄には青いペンで、「一緒にやっていきましょう。まずはお名前の呼び方から教えてください」とあった。
一冊目は、ひどいものだった。体温の数字だけ書いて、あとは空欄の日。「変わりありません」だけの日。書いてあっても、「朝ごはんを食べてくれませんでした。すみません」「寝るのが遅くなりました。すみません」。誰に謝っていたのか、ほとんどの行が謝罪で終わっていた。
その日の返信欄には、こうあった。「園では味噌汁をおかわりしました。朝は食べない日があって大丈夫です。それから、すみません、は要りませんよ」
熱で呼び出された日のページもあった。会議を抜けられず、迎えが夕方になった。「遅くなり申し訳ありませんでした」と書いた翌朝の返信は、「熱はお迎えの頃には下がっていました。◯◯くんは待っている間、『パパはおしごとがつよい』と自慢していました」だった。そんなことを息子が言っていたのを、私はこのノートで知ったのだった。そして忘れていた。
二冊目になると、私の字は欄からはみ出すようになっていた。「初めて『パパきらい』と言われました」と余白まで使って書いた日がある。返信は短かった。「一人前に憎まれ口をきける相手だと、信頼されている証拠です。園では一日じゅう、パパの絵を描いていました」
青いペンの字は、日によって少し暴れていた。運動会の前の週や、発表会の前は、明らかに走り書きになった。それでも、と気づいたのは三冊目の途中だ。私の側には空欄の日が何十日もあるのに、返信欄は一日も空いていなかった。私が何も書かなかった朝にも、「今日は靴を左右正しく履けました」「寒くなりましたね。手袋に名前をお願いします」と、白紙に向かって返事が書いてある。
気がつくと、私は息子の欄を読み飛ばしていた。三年分の成長記録を確かめるつもりで開いたのに、目が追っているのは青いペンのほうばかりだった。
三冊目の最後、卒園式の今日の行は、白かった。もう書く必要のないページだった。
私はペンを取って、体温の欄に三六度五分と書いた。夕食、完食。家庭での様子、「式のあと、友だちと別れるのに三十分かかりました。よく笑っていました」。
書き終えて、少し待つような気持ちになってから、ノートを閉じた。
返信欄だけが、初めて白いままだった。